仏映画「ゲームの規則」(1939)の感想。

上流階級の邸宅で繰り広げられる騒動を描いた風刺映画。

侯爵邸に集った上流階級の人々による恋愛ゲーム。妻帯者であっても関係ない。配偶者の浮気も承知の上。社交という名のもとに、あまりにも自由奔放すぎるドタバタ騒動が進行する。彼らの中では、誤射をネタにするなど相当に悪趣味のやりとりもあるし、人としてどうなのよと思わせるお金持ちの生態だ。

邸内には使用人たちも多く、自分の仕事をしっかりとこなしている。しかし、彼らも恋愛ゲームに忙しい。更に、食卓ではご主人さまたちの噂話に花が咲く。こちらも品がない。

驚くことに、彼らは配偶者に手を出す相手に対して、事を荒立てることをしない。同じグループに属しているから相手には情けをかけるということなのか。和を乱さないことが暗黙のルールになっているかのようだ。

このようにルールを守りながら、最低限の体裁だけは整える上流階級と使用人たち。こういう枠が自己拘束にもなって、体裁を保つための強力な手段として機能している。枠外のウサギ泥棒が靴磨きとしてこのグループに入ると、一応しっかりとした使用人の役割を果たしていくようになるのがその証だ。

仲間内には寛大なルールを示す一方では、上流階級と使用人たちの関係はかなり厳しい。不手際をおかした使用人は容赦なく解雇される。ヒエラルキーを守るための掟は厳しい。

最後に銃の発砲事件が起こり死人が出るが、侯爵はなかったことのしてしまう。究極の身内のための保身だ。

身分制度のヒエラルキーを守るための強力な規則。その規則に守られた内部での倫理崩壊。この鮮やかな対比が、ゲームの規則そのものを示している。