「人間失格」の主人公は、道化を演じることで社会に適応しようとした。本作の主人公は、もっとレベルが高い。ある将棋棋士が昔と今の棋士でどちらの方が強いかという問いに、戦法の研究が進んでいるので今の方が強いと言ったが、それはこの主人公にも当てはまるだろう。
世の中は、世の中の発展を阻害するものを排除するメカニズムに動いている。突きつめれば人間の生殖本能までたどりついてしまうのが現実の社会だ。いわゆる意識高い系の人には合っているが、そうでない人にはとっては生きにくい。最近のように、多様性を重んじる風潮になっても、所詮、多数派の視点でのマイノリティ保護ということになってしまう。
やる気はないが生殖本能はある主人公は、お金があれば生きていけるということに気づいている。そのために、一人前の会社員としての振るまい、周りに合わせる高等テクニックを習得している。実に細かいテクニックを駆使して若手会社員を演じ、同僚たちともうまくやっている。見事な生き残り術だ。
ただ、彼は自己矛盾を感じ始めている。やる気のない自分が、何をすれば幸福で充実感を味わえるのかがわからない。答えは身近にあった。ダイエットのための運動をしたり、スイーツづくりに精を出したりするとき、なぜか満足感を覚えてしまう。その姿は、端から見れば、身を粉にして働いている意識高い系の人と同じではないか。やる気のない自分の思考が反映された行動でないのに、なぜ満足するのか。何という皮肉か。人間は思考するから人間であるということにならないのではないか。こうなると、最早哲学の領域の問題になってくる。
生殖本能から世の中を見るという本書の試みは大変有意義だと思う。社会構造をみごとに浮き彫りにしているからだ。ただ、物語として見れば、登場人物がただの駒であったり、物語性が薄いといったところも目立つ。せっかく深い思考を盛り込んだ作品なのに、そこが残念。

