没落する旧華族の様子を描いた作品。チェーホフの桜の園をモデルにしている。
この一族がどれくらいの名家だったかは、使用人の殿山康司が当主を「殿」と呼びかけたことからもわかる。大名かそれに準じる家柄だったのだろう。邸宅を手放さざるを得ない窮地に陥っているが、最後の花を咲かせようと舞踏会を催す。招かれた客たちの会話には、明治の元勲たちの名が出てくるくらいの上流階級の交友だ。
今の社会での格差は主に経済的格差だ。しかし、この映画を観ていると、身分制度の格差というものが、どれほど強固であったかがわかる。そういった伝統でもあり身についた第二の性格でもあるものをなくすのだから、当事者にとっては想像をできないような屈辱だ。
一家の人たちはそれぞれの受け入れ方をする。当主はなすすべがない。姉はよりどころの身分を失うことに精神的に絶えられない。兄はお気楽トンボ。唯一、原節子の妹は、明るく振る舞う。彼女が、古い時代から新しい時代への転換期の戦後の日本を象徴しているのだろう。ただ、やはり長きにわたる旧制度の圧倒的な身分制度の強固さを逆に感じてしまう。

