田中美佐子が囲碁棋士を演じる。刑事コロンボを意識したかなり挑戦的なエピソード。
女流囲碁棋士の犯人は、何かと口うるさく束縛する棋士の夫を撲殺する。偽装工作をして警察を呼ぶが、捜査を進める古畑にいとも簡単に見破られてしまう。
倒叙式では、頭の切れる知能犯という設定はほぼ必須になる。冒頭から発揮される犯人のいい加減な性格は、この制約にバカな犯人という設定で挑戦しようとしているのではないかと思ってしまうほどだ。
ネコの名前に囲碁用語のポン抜きが使われている。
ポン抜きは、一手で約30目の大きな手だ。しかし、その前のアタリのときに逃げれば回避できる。よって逃げられるのに逃げないで他の場所に打ったので、ポン抜きされてしまうことになる。他の場所に打つことが、ポン抜きされる以上の価値があるからだ。
つまり、妻に対する夫の横暴な言動は、裏に納得できる理由があるという暗示になっている。これは、夫婦で飼っているネコを、あえて夫のものとしたことでも裏づけられる。
夫婦は囲碁棋士でなくてもよさそうに見えるが、こういう関係があるので、ふたりとも囲碁棋士であるという設定が必要なわけだ。
話がすすむと、刑事コロンボ「忘れられたスター」そのままの構成になっていることに気がつく。古畑任三郎シリーズは、コロンボへのオマージュ的なものがいろいろと入っているが、本作ほど力を入れているのも珍しい。
最後のシーンで、犯人がまさに天然ボケここに極まる、といった服装で階段をおりてくるのは爆笑ものだ。つまり、これは「忘れられたスター」を完全パロディー化しているのだと思う。
「忘れられたスター」は、病気の犯人の悲哀を描いて、哀愁ただよう終わり方で名作となった。このエピソードでは、逆にパロディー化で笑いの幕切れとすることで、真逆の終わり方にしている。
配役で、「忘れられたスター」の犯人役のジャネット・リーは、ヒッチコック「サイコ」で惨殺される役であった。一方、この話の犯人役田中美佐子は、映画「丑三つの村」に出演している。「八つ墓村」の題材になった事件を映画化したもので、田中美佐子は村人が惨殺される中で、ひとり生き残る役を演じている。これも逆だ。
ふつうの見方をすると、ただの駄作にみえるが、見方を変えると相当に力の入った試みであり、それがかなり成功していると思う。劇中の、愚痴に近い古畑のメッセージには、これだけ詰め込んでつくっているんだという気持ちからだろう。