映画「天井桟敷の人々」(1945)の感想。

1945年公開のフランス映画。第二次大戦中にこれだけのものがつくられただけでも驚き。含蓄あるセリフ満載で、大衆の力があふれ出る作品だ。

前半は、美女ガランスに思いを寄せる男たちが次々に登場する。俳優のラスネール、インテリ悪党のフレデリック、モントレー伯爵、そしてパントマイム芸人のバチスト。彼らはことばを武器のように使って、ガランスに言い寄る。しかし、無言劇芸人のバチストだけはことばを持たない。

おそらくバチストは、抑圧された大衆の象徴なのだろう。ナチス占領下のパリでは、一般市民たちは声をあげることができない。それでも、泥棒を見つけたバチストがように、世の出来事をしっかりと見つめている。

一方のガランスは、誰とでも言葉を交わし、男たちに希望を持たせる存在だ。見つめる男たちにとっては、美しさであり、情欲の対象であり、対面を保つための存在であり、精神的な愛の対象である。彼女は相手次第で様々な顔で応じる。しかし誰にも束縛されることなく自由の人だ。

後半、ガランスは伯爵に囲われるようになる。しかし心までは許してはいない。まるでナチスに対するフランスのようだ。ガランスが祖国フランスを象徴しているのだろう。前半、皆の希望であった彼女は、自由がなくなって、毅然とした態度をとるようになる。そして、バチストに心を許すが、横槍が入って騒動が起きる。民衆の国フランスとなるための苦難の道だ。

映画は、ごった返す犯罪大通りで始まり、そこで翻弄されるバチストの姿で終わる。強烈な個性の人物が登場する舞台の背後には、常に大衆の力を感じる。ナチスの占領に対するレジスタンス的な作品だ。