
ハルビン学院とは、1920年に設立され、その後25年間ロシア語の専門家を育成した旧制の専門学校。ハルビンは当時からヨーロッパの雰囲気を漂わせる街で、ロシア人も多数居住していた中国東北部の国際都市。ロシア語を学ぶにはうってつけの場所だった。専門学校であったが、給費学生としてロシア語を学べるため全国から俊英が集まっていた。外務省から派遣された杉原千畝もここに学んででいる。
太平洋戦争中の日本は英語を敵性語として避けるような近視眼的な対応がある一方で、このハルビン学院のように先を見据えた教育機関を設置し、人材を育成していた。建国大学などもそうであるが、満州の教育機関には自由な雰囲気があり、学生たちはのびのびとした生活を送ることができたようだ。もちろん対ソ戦を念頭に置いた人材育成が目的である教育機関であるため、卒業生が陸軍の通訳となったりしているが、戦後ロシア語関連の分野にも多数の人材を輩出している。
書名のとおり、ハルビン学院だけでなく満洲国についての本でもあるが、どちらかというと後者の記述が多い。やはり一教育機関であるので、限られた学生数と25年という期間では、当時の状況を知るための取材には限界があるのだろう。だが、ロシア語教育機関の貴重な記録になると思う。







