ガルシア・マルケス著「百年の孤独」の感想。

ガルシア・マルケスはスペイン語のテキストによく出てくるので、名前だけはだいぶ前から知ってはいた。スペイン語作家ではセルバンテスの次くらいに有名なのだろうという認識だった。読むのが大変と聞いている「百年の孤独」が文庫化されてブームになっているので、読んでみることにした。

とにかく壮大な物語。架空の街マコンドに住む一族の100年にわたる歴史が描かれる。夫婦により始まったこの街は、繁栄の時期を経て100年後には滅びてしまうので、一族と街の興亡の歴史でもある。

マクロ的にみるとマコンドの繁栄と衰退の原因は人間の欲望だ。それは二つに分けルことができる。ひとつは理性の欲望、もうひとつは愛欲だ。男たちによって体現されているのは攻めの欲望とでも言うべきものだ。男たちは成長すると街を出て軍隊に加わったり商売を始めたりする。またある者は内面の世界に入り芸術工芸の道を選ぶ。それは心に描いた平和、繁栄、美しさなどを創造しようとする営みだ。これが街を発展させる大きな原動力となる。

しかし負の面も持っている。欲望をもとにした野心というものは、人間性など無視した人殺しをも正当化する。更に欲望の裏面には放蕩や怠惰が隠れている。酒池肉林をむさぼり肥満体となった男たちのもとでは、街の衰退は必然となる。所詮、理想などというのは頭で考えた脆弱なものでしかないという冷徹な事実だ。

もうひとつは女たちによる欲望は感情にもとづいている。本能的な慈しみの感情が子供たちを育てるもとになる。これも街の繁栄の原動力になっている。女が赤ん坊を殺してしまおうとする場面がいくつかある。その度に、最後の瞬間に手を掛けるのをやめてしまう。理性よりも本能の方が強いということだ。ウルスラをはじめとする女たちの存在が、結局はこの街の繁栄を支えている。

だが、感情は本能にもとづくので、裏には嫉妬のような負の感情もある。アマランタの恋敵への嫉妬が老年になっても消えないのは、いかに負の感情が強いかの現れだ。見栄という人間らしい感情もこれと同じだ。これらが男たちにも影響を与え、街の衰退の原因にもなる。

理性に基づいた欲望はコントロールもできるだろう。しかしもうひとつの原因である愛欲はときとして制御できなくなる。ウルスラが豚の尻尾が生えると言って戒めた近親相姦。叔母と甥が関係を持ったりするなど、一族の中で頻繁に起きてしまう。それだけ愛欲には抵抗できなくくらいのエネルギーがあるということだ。生物学的な繁栄には不可欠なものだが、人間社会の秩序の破壊にもつながりかねないものだ。

ミクロの面で見れば、タイトルにあるように登場人物のそれぞれが孤独を抱える存在だ。男たちは自分の世界を創っていく。極めれば悟りの境地まで到達し賞賛されるようになるが、進めば進むほど自分の世界に入って孤独となっていく。ある程度まで進むと後戻りもできない。大佐が何のためにこんなことをしているのかと思う場面があるが、これが頭で作り上げた欲望の脆いところだ。人生の旬の時代を過ぎると、自分の殻に閉じこもるだけの存在になる。

一方、女たちにも孤独がある。大事に育てた子供たちが成長して、彼女たちに理解できない世界に行ってしまう。子供と家族に囲まれているようでも、彼女たちも孤独なのだ。しかし次の子供たちが生まれくるので、男たちに比べるとまだ救いがある。本能的な慈しみの心は何があっても消えることがなく、それは理性よりもはるかに強いことの現れだ。

長い物語であるが、結局人間は同じ事を繰り返している。だから予言の書で将来を予測することができる。同じ名前の人物が代が変わっても出てくるのはそれを示唆している。

通読するには確かにエネルギーが要るが、世代をまたいだ群像劇という視点で描かれていて、近視眼的な見方だけでない人間の営みを知ることができる作品だと思う。