シェイクスピア著「マクベス」の感想。運命のまわりで踊る人間の悲劇。

四大悲劇の中では一番短い作品。黒澤明監督の「蜘蛛巣城」の原作。

スコットランドの武将マクベスは、森の中で魔女たちに出会う。彼女たちは彼が王になると予言する。夫人にその話をすると、主君の誅殺をそそのかされる。それを実行し望みどおり王になったマクベスだが、次第に心には恐怖心が芽生え、正気を失っていく。

自分がこの先どうなるかというの運命は、誰にもわからない。しかし、マクベスは、魔女の予言というかたちで知ってしまう。それを自分の欲望達成に利用するだけでなく、ついには運命を変えようとまでしてしまう。

飽くなき権力への欲望が続くと、剛胆なマクベスでも次第に自分の弱さが顔を出すようになる。そして不安にさいなまれる日々を過ごすうちに、自身の精神まで異常をきたす。運命を操るつもりが、その運命に踊らされていく。

運命は決して門を閉めたりはしない。誰にでも門が開かれている。マクベスに対しても、王にならないという予言はしない。ただ、運命は絶対的で、人間の思惑で変えられるものではない。将来の可能性は無限に見えても、終わってみればひとつの道が残るだけだ。森が動いたり、帝王切開だったりするのは、運命からは逃れられないという暗喩だ。

考えてみれば、人間は自分の将来を知ることはできないが、こうなりたいとかこうなるだろうという考えを持ってしまう。そういう人間の思考が運命にまとわりつくことで、様々な思惑が渦巻く現実世界となる。

運命という絶対的な舞台とその大きな力を操ろうとする人間の心理の葛藤劇。ちっぽけな人間が自身の思惑に踊らされながらもがく壮大な悲劇だ。悲劇ではあるが、人間の姿は滑稽でもあり、喜劇にも見える。