「笑の大学」の映画版と舞台版
三谷幸喜作の「笑の大学」の映画版と舞台版を見比べてみた。映画版と舞台版では、基本的には同じで、セリフもほぼ同じ。映画には、劇団の公演の場面などが追加されていて、カラスのムサシの話はカットされている。
配役は
映画版
検閲官 向坂睦男:役所広司
脚本家 椿一 :稲垣吾郎
舞台版
検閲官 向坂睦男:西村雅彦
脚本家 椿一 :近藤芳正
あらすじ
戦時下の東京。「笑の大学」の作家椿一は、上映劇の検閲を受けるために警察に赴く。検閲官の向坂は、無理難題を押しつけ、脚本の描き直しを迫る。まったく喜劇には関心を示さなかった向坂であるが、椿とのやりとりをするうちに笑いの機微がわかるようになる。
映画版と舞台版の比較
比較すると、映画版は物語風で、舞台版は喜劇風になっていると思う。
映画では、検閲官役所広司は割と物腰がやわらかく、脚本家稲垣吾郎は真面目の文筆家という印象。ふたりがつくるストーリーは、やはり人情物語といった雰囲気がある。もともと舞台劇の台本を映画化するのは、かなりの苦労があったと思う。映画としては起伏が少ないので、ほぼ一対一の演劇で2時間持たせるために、微妙な表情の演技ができる役所広司を持ってきたのは正解だろう。
一方、舞台版は、より対決姿勢が強調されている。強面で横柄な検閲官の西村雅彦と、許可を得るためにへりくだる脚本家近藤芳正の隔たりがもともと大きい。そういう関係の中に笑いのネタが入ると、よりいっそう笑いが引き立つ。笑う場面はこちらの方が多い。
どちらも、統制する側の検閲官が笑いに翻弄されるシーンを使って、権力をおちょくる精神は健在。一方では、検閲でがんじがらめにされながらも、なんとか当局の意に沿うようにアイディアをひねり出す脚本家。こういう時代だからでなく、いつの時代も脚本家はこういうものだという三谷幸喜の自虐的なメッセージが込められている。
まとめ
漫才のようの笑いではなく、風刺をきかせたものなので、じっくり笑いを楽しむにはよい作品。笑いを求めるなら舞台版を、ほのぼのとした物語を求めるなら映画版がよいと思う。