映画「女は二度生まれる」(1961)の感想。川島雄三監督、若尾文子主演。

川島雄三監督、若尾文子主演。原作は富田常雄の「小えん日記」。

花柳界に身を置く小えんは、薄幸の生い立ちであるが屈託のない明るい性格で人気もの。その若さと美貌ゆえに男たちが次々と言い寄ってくる。いろんな男たちと関係を結びながらも、小えんは自分らしい生き方を失うことはない。

川島が大映首脳陣に「若尾文子を女にしてみせる」と宣言したといわれる作品だけあって、若尾文子の撮り方が秀逸だ。男を相手にしなければならない境遇にいるのに、擦れたところがない。したたかでもなく、肩肘張る強い女性でもない。そうかと言って、則天去私的な世捨て人の悟りを持っているわけでもない。喜怒哀楽を失わずに、水の流れのごとく日々の生活を送る女性だ。まるで、宗教的なアイコンのように理想的女性だ。

その対比で、男たちの浅はかさが際立ってしまう。芸者遊びをする客も、小えんを囲う建築家も、元学生も、彼女の一部分を取り出すような見方しかしない。

最後は、上高地の駅で唐突に終わったように見える。最初だの最後だのという区分けは、まるで男たちの見方そのもののようだ。小えんには、そんな見方は似合わない。そもそも「女は二度生まれる」というのも男がつけたようなタイトルだ。