韓国映画「4人の食卓」(2004)の感想。チョン・ジヒョン、パク・シニャン出演。

2004年公開の韓国映画。「猟奇的な彼女」のチョン・ジヒョンが主演。相手役は「パリの恋人」のパク・シニャン。

サイコ・ホラーの形式をとっているが、現代の韓国社会の問題を鋭く指摘している社会派の作品でもある。凝りに凝った構成で、至るところに暗喩が散りばめられている。

冒頭の新居の食卓では、4つの照明がそれぞれの座席を照らしている。ふつうの照明は1つで全員を照らすものだ。個別に照明があるというのは、4人に共有する考え方はなくそれぞれが異なった価値観を持っていることを暗示している。

路上で少年が自分で画いた絵を見せるシーンがある。画用紙の下側は赤で、上側は黄色で塗りつぶされ、黄色側には太陽のような丸が画かれている。下の赤は北朝鮮、上の黄色は韓国、太陽は韓国の経済発展を示している。

パク・シニャンが演じるインテリアデザイナーは、韓国の新世代を代表している。何度か携帯の充電を忘れるシーンがある。携帯の充電は人にとっての食べ物。つまり、彼は食べることの心配をする必要のない豊かな世代ということだ。また、精神科クリニックの改築工事を請け負い、患者どうしが対面するのを避けるための出口をつくる。彼の世代つくる世の中は、北とは面と向かって対峙することはない。つまり統一問題の解決は念頭にないということだ。

一方、病んだ女性を演じるチョン・ジヒョンは、旧世代を代表している。朝鮮戦争を体験し、悲惨な記憶をとどめている世代だ。信頼していたママ友に子供を殺された事件は、同胞どうしで殺し合いになった戦争を示している。こういう体験があるので、夫が体現する北の同胞とよい関係を保つことはできない。もちろん裏には、うるさ型の姑である金一族体制があるせいでもある。この世代は悲惨な記憶を消すことができないため、北とは対立せざるを得ない。統一を願う世代でありながら、北に対する悪感情が足かせになっている。

デザイナーが、朝鮮戦争を示す子供時代の虐待を思い出すことで、ふたりは歩み寄ろうとする。しかしわかり合うことはできない。そこには世代間の断絶が起きている。

ママ友が子殺しの犯人であるという設定ながら、真犯人は病んだ女性ではないかという問いを残したまま話は終わる。どちらが犯人だと決めることはできない。なぜなら朝鮮戦争では南北が互いに同胞を殺し合っているからだ。

他にもいろんな暗喩が出てきた。

希望の教会は、すでに過去のものとなりつつある。豊かになれば、それぞれの価値観で生きるようになるのは自然のことだ。統一と豊かになるという希望だけでは社会は動かない。問題が山積する雨降る現代の社会に出て、それぞれの分野で生きることになるものだ。

雨乞いをしても傘を用意していないという逸話は、統一は民族の悲願でありながら、誰も本気で実行できるとは思っていない今の韓国社会を示している。

電車で死んだ二人の子供は、もちろん韓国と北朝鮮の暗喩だ。朝鮮戦争で分断された2つの国家は、時を経ても子供のままで成長していない。つまり統一に向けて何も進んでいない状況が続いているということ。そして二人が死んでしまったのは、分断国家として今は存在しないということ。分断国家は統一を前提にしての存在だ。統一が目標でなくなれば、ただ2つの国家の存在があるだけだ。

4人の食卓に座るのは、韓国、北朝鮮、新生代、旧世代だ。それぞれが自分のライトに照らされていて、わかり合うことはできないとう絶望的な状況。最後の場面では旧世代の席は空で、すでに世代交代が進んでしまった状況を示している。

変わりつつある韓国社会と統一問題を取り上げた作品。それにしても凝ったつくりだ。