映画「幸福なラザロ」(2018)の感想。

2018年のイタリア映画。カンヌ映画祭で脚本賞受賞。

イタリアのある農村では、すでに違法となっている小作人制度もと、村人が農作業に従事させられていた。ラザロという純朴な青年は、侯爵夫人の息子と親しくなり、狂言誘拐に協力させられる。その結果、侯爵家の不法行為があきらかになり、村全体が無人化し廃墟同然になってしまう。

救いようのない搾取の構造に押し込められた農民たち。その仲間からも軽んじられるお人好しのラザロ。希望のない生活のように見えるが、ラザロは純真さを失ってはいない。黙々と働き、人のために尽くす。

崖から落ちて死んだかに見えたが、不老の聖人としてよみがえる。彼は聖人であり、宗教的なアイコンだ。

誰が一番幸せな人生を送ったかといえば、答えは明らかだろう。侯爵家でもないし、ラザロをないがしろにした農民たちでもない。ラザロは、理不尽な暴行を受け命を落とす。人は誰でもいつかは最期をむかえるものだ。彼はその瞬間まで無垢な心を失わなかった。

よく生きるにはどうしたらよいかについて、考えさせられる映画だ。